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袋町裏通りの歴史
広島市最大の繁華街本通りの南に隣接する2本の通りに注目!!
  世界ブランドとなったユニクロ発祥の地、広島市中区袋町「裏通り」
江戸中期(西暦1657年)ころ西魚屋町界隈が大火となり焼失した戒善寺(現在の広島市中区小町に移転)その跡地が「袋町」となりました。
なぜ「袋」町?
「大黒山護念院戒善寺」が正式名称であり大黒天も祀られていたのです。
(知恵や宝が一杯入った)大きな袋を肩にかけたお姿から町の安全を祈念して『袋町』と名づけたと、一説にあります。
 この地は、静かで、道幅も広く、落ち着いたたたずまいで史跡などにも程近く、南に延びると袋町小学校、頼山陽資料館があります。
頼山陽はここで日本外史(正史に対しての名称)を著しました。
この南が国泰寺(浅野藩関係者墓所)300才をこえる大楠(天然記念物指定。原爆で焼け倒壊)が境内にあって、昔懐かしくも広島市中心部の原風景を呈していました。

明治時代から終戦までは「旅館街」でした。日本が列強大国に伍すべく、日清・日露の戦争時には全国から集められた兵隊さんを宇品港から輸送船で、大陸の戦地に送り出しました。

広島市内の多くの民家も兵隊宿となりました。その兵隊達、そして見送りの家族が泊まった別離の宿が鉄砲屋町の旅館街でもありました。鉄砲屋町には「大相撲」が広島場所であった時などは、大勢の相撲力士の宿となり町には浴衣姿の力士であふれたものでした。

平田屋川という運河は広島城の築城にあたって、資材運搬のために御幸橋西詰めから本通り辺りまで造られました。時代経過に伴い、狭小となり、どぶ川となり、埋め立てられて今は並木通り(鉄砲屋町)袋町東端から平和大通りまで南北に延びる広い商店街になっています。

「新設」本通り南に沿う1本目の通りは、戦後の復興計画で新しく出来ました。終戦前は、東ブロックは鉄砲屋町。西ブロックは袋町。今は戦後に町名や住居表示の改変で『袋町』に統合されました。
袋町裏通りABブロック   袋町裏通りCDブロック

袋町裏通りEFブロック   袋町裏通りGHブロック
(2008.1.18撮影)
 今や全世界ブランドとなったユニクロ。
その1号店は、この中区袋町裏通りです。1984年6月「ユニーク・クロージング・ウエアハウス」という名前でこの裏通りに出店されたのです。ユニクロの名称はこの1号店の略称名からきています

広島から東京に進出しているセレクトショップ、飲食店カリスマ美容師のいるヘアサロンなど独自のセンスをもった隠れ家的お店と昔ながらの日本情緒あふれる老舗が混在する独特な雰囲気を持った広島市中区袋町裏通り。
こうしている間にも、ユニクロに続く全国ブランドが生まれつつあります。

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